「勝ち組だよね、みかちゃんって」
そう言われるたびに、なんとも言えない気持ちになる。
確かに外資系企業でそれなりの役職についてるし、見た目も気を遣ってる。
SNSでは、スーツ姿の足元を褒められることもある。
でも、それって本当に“勝ってる”ってことなんだろうか。
朝から晩まで気を張って、疲れて、帰ってきたら足がパンパンで、
誰にも弱音を吐けずにシャワーの中でため息つく日々。
スーツを着たからって、勝ち組になれたわけじゃない。
むしろそのスーツの重みが、私の中に「勝ち負け」って言葉への違和感を生んでいる。
そんな思いを抱えながら、私は今日もヒールを履く。
その意味を、ここに書いておきたかった。
スーツを着てるだけで、勝ち組に見えるらしい
朝、鏡に映るスーツ姿の自分を見ながら思う。
たぶん、他人から見たら「勝ち組」に分類されるんだろうなって。
外資系会社勤務、中間管理職。支社では責任もある立場。
SNSでは美脚アカウントがプチバズして、たまにDMで褒められたりもする。
でも、本当の私はそんなに完璧じゃない。
むしろ、靴擦れとむくみで足が痛くて歩くたびに顔が歪む。
「女として勝ってるよね」なんて言葉に、違和感しかない。
あの日も、会社のトイレでストッキングを脱ぎながら、ひとりで涙ぐんでた。
勝ち組負け組ってなんなんだろう・・・。
営業の現場で貼られる「女の勝ち負け」ラベル
「容姿で得してるでしょ」
「女は若いうちが勝ち」
「まだ結婚してないの?」
営業現場では、なぜか勝手に女の“勝ち負け”が決められる。
年齢、既婚か未婚か、出産してるかしてないか。
“私の実績”じゃなく、“女としての立ち位置”で評価されているような感覚。
ある日、クライアントに「お子さんいらっしゃるんですか?」と聞かれ、
「いません」と答えたら、
「え、そんなに仕事頑張ってるのに?」って言われた。
…どういう意味? なんでそんなこと言われなきゃいけないの?
でも、ラベルを貼る人たちは“当たり前”みたいな顔をしてくる。
そのたびに、私は何度も「私って負けてるのかな」って立ち止まる。
実際の苦労、サラリーマンのストレスってなんなん?
丸の内でSDGSバッジをつけて颯爽と歩く金融畑の人々
スーツでスマホ片手にきりっと決めて眼光鋭い営業マン・・・
勝ち組なんですかね?本当に。
私は、
会社に行くだけで、正直、けっこう消耗してる。
クライアントとのアポ、部下のフォロー、上司の機嫌取り。
帰ってきてヒールを脱ぐ瞬間、魂が抜けそうになる。
毎朝起きた瞬間、
あぁ。。。今日もはじまってしまった。。。
他の動物ってさ、こんな感覚なってるのかな・・・?
たとえば鳩とか。たまに公園で営業合間に休憩してると
目に飛び込んでくる鳩たち。。
なんか楽しそうに見えることがある。
目覚めたら「今日も飛ぶか、わっほーーーい」って感じなんじゃないのかな。とか。
でも、週末にはネイルに行って、フェイシャルの予約もして、
疲れた体にムチ打って、表面を整えて…それって何のため?
身なりをキープするのは社会人のマナー?
それとも、見えない“勝ち組感”を維持するための鎧?
結局、ストレス発散のためにお金を使って、
そのためにまた働いて、また疲れて……
ぐるぐる回って、何やってるんだろうって思う時がある。
資本主義の理不尽って、意外とみんな気づいてる?
一生懸命働いて、数字出して、褒められて、昇格して、
でもその分の利益は誰が得てるんだろう。。。
経費削減で交通費すらギリギリなのに、
株主配当はきっちり出てる会社の数字を見たとき、
なんか冷めた。
私たち馬車馬のように働いて:○○○万円
会議でも見たことない外国人の謎の役員たち数名:○○”億”円
・・・・ん?????
「勝ち組・負け組」って言葉自体が、
この構造を正当化するために存在してるんじゃないかと思うこともある。
私たちはただの歯車で、手足を動かして稼いだお金を、
誰かが上のほうで吸い上げてるだけ。
そのルールの中で、誰が勝ちで誰が負けなんて、
勝ち組負け組という概念を仮に是とするなら、
みんな負けてるようなもんだと思う。
本当にそうなの??
何のために働いてるんだろう?お金のためって言い切れない
働く理由は何?と聞かれたら、ほとんどの人が「お金のため」と答えると思う。
実際、私もそうだった。いや、今もそうかもしれない。
家賃、光熱費、ランチ代、コスメ、推し活、付き合いの飲み会、たまの自分へのご褒美。
でも、ふと思うことがある。
これって全部、働くストレスや疲れを相殺するための出費じゃない?って。
営業で嫌な思いをした日ほど、甘いスイーツを買って帰る。
人間関係で消耗した週末は、美容院やエステで「自分を取り戻そう」とお金を使う。
休日は眠るだけで終わって、また月曜日が来る。
その繰り返し。
この生活、何のためにやってるんだろう。
お金を稼ぐために働いて、その働きの疲れを癒すためにお金を使って。
ぐるぐる回って、でもどこにもたどり着けてない気がする。
夜、ベッドの中でふと「お金って何なんだろう」と思う瞬間がある。
数字としての価値?
生きるための道具?
それとも、比較されるための記号?
私は、もっと別の何か。。。
たとえば「誰かにありがとうって言ってもらえた」とか、
「自分の存在が役に立った」とか、
そんな実感のほうが、ずっと心を満たしてくれると感じるようになった。
もちろん、生活にはお金がいる。
でも、働く理由を“お金だけ”にしてしまうと、人生はとても空しくなる。
スーツを着て、今日も現場へ向かう中で、私はその矛盾とたたかいながら、
なんとかバランスをとって生きている。
「勝ち負け」より、“今日をちゃんと生きた”で充分
勝ち組、負け組。
その二択に自分の人生をあてはめることに、私はどうしても納得がいかない。
確かに、世の中には“勝っているように見える人”がいる。
高級ブランド、素敵なパートナー、広くてきれいな部屋。
SNSを開けば、そんな人たちの「勝ちパターン」が延々と流れてくる。
でも、そこに「働いている理由」や「日々を生きる意味」って見えるだろうか?
私はスーツを着て、毎朝ヒールを履いて、足のむくみと闘いながら営業に出ている。
その途中で何度も「なぜ働いてるんだろう?」って疑問が浮かぶ。
ストレスを抱えて、ケアにお金を使って、でもまたそのお金のために働く。
この循環を「勝ち」だなんて、私はとても思えない。
さらに言えば、今の資本主義の構造では、
私たち労働者が生み出した価値は、ごく一部の資本側に吸い上げられている。
努力や誠実さが、かならずしも報われるとは限らない。
「勝ち組」とされる人たちの中にも、見えない不安や孤独を抱えてる人はきっといる。
だとしたら——
勝ちとか負けとか、もはや定義のないものに過ぎないんじゃないか。
そもそも、誰の物差しで勝ち負けが決まるの?
年収?学歴?結婚?フォロワー数?
そんなの、他人が決めたルールでしかない。
実にくだらない。
その日、自分なりにちゃんと生きたって思えるか。
理不尽に耐えて、怒りや悔しさを飲み込んで、それでも誰かに優しくできたか。
頑張った自分を、ちゃんと「よくやったね」って言えるか。
私にとって、それが“勝ち”なんだと思う。
だからもう、「勝ち組」「負け組」なんていう薄っぺらい言葉に自分を縛るのはやめた。
私はただ、今日をちゃんと生きる。
それだけで、充分だと思っている。
この社会でスーツを着て戦う全ての人へ。
あなたが“勝ってるか負けてるか”じゃなく、
あなたが“今日をどう生きたか”が、全部だと思う。
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